
20代の頃、韓国のキレイな女性がいるバーに連れて行ってもらったんです。チマチョゴリを着ている美しい女性達がいっぱいいました。彼女のうちの一人が、私、日本人の女の子の友達がいないから、遊びに来て欲しいと言ってくれたんです。
私は、その言葉を間に受けて、のこのこ彼女のうちに遊びに行ったのですが、その時のこと。
彼女は私の顔を見て「目を二重に整形した方が良い」と言ったんです。
「そ、そうですね」
私も自分がブスなのは百も承知だったので、できるものなら整形したいと思っていたんですが、当時、今ほど整形は気軽にできるものではなかったので、韓国と日本の違いを実感しました。整形は韓国では当たり前のこと。
韓国では、肌が綺麗=清潔で信頼できる人。という認識が一般的です。
美肌は努力と誠実さを映す“社会的サイン”となってます。
90年代以降は、K-POPやK-beautyが世界を席巻。圧倒的な肌の美しさと外見は、世界の人達を魅了しました。
これは何か歴史的背景があるに違いない、と調べてみたら、儒教という思想が土台にあったことがわかりました。
儒教では、親からもらった身体を大切にする。一見、整形するなどの体にメスを入れるのは、違うのではないか?と矛盾を感じますが、韓国では、むしろ、積極的に親が子へ整形を勧め、キレイになって幸せになるなら、その方が良いと考えています。
そのくらい【外見を磨く=努力の証】。自分磨きの努力を怠らないということは、その人の誠実さの証になっているのです。儒教の教えの本質は、親からもらった身体を粗末に扱うな、ということであって、変えてはいけない、ということではないんですね。しっかり外見を磨き、内面も磨く、メンテナンスし、整えて、自分を大切にしなさい、という意味合いなのです。
儒教は、”自然体であれ”ではなく、”努力して徳を磨け”という思想なのです。
さて、そうかといって整形は怖いし、今更してもね、という気持ちが私自身は強いです。
けれど、素肌を磨いたり、髪を整えたり、スタイルをキープしたり、そこはやっていきたい。少しでも見栄えが良ければ、自分が楽しいから。年を重ねていくからこそ、外見をより磨いていきたい。
これから歯もキレイにしたいなと思っているし、より健康のために運動もしていきたいと思ってます。(これはずっと思っているけど、まだ重い腰が上がらないですが)
これを読んでいらっしゃる方も、指を加えて見ているだけでは勿体無い。
自分磨き、ぜひご一緒に!何をしても無駄なんて、そんなことはないですから。
諦めないで欲しいなと思います。